嫁とゲーム、あるいは
嫁はゲームが嫌いです。
小さい頃家族とトランプで遊んだ嫁は、遊んだというより人数合わせのためにルールもよく把握しないまま参加させられ、そのうえに下手だと言ってさんざんに罵られたそうです。
挙げ句「お前と遊んでもおもんないねん」と面と向かって言われ、それ以降「一緒に遊んでもおもんない」レッテルを貼られ続けたそうです。
今はどうか知りませんが、昔の家庭はどこもそういうものだったように思います。
親戚の前だろうとなんだろうと、振り当てられたキャラとして口汚く罵られ辱められ、「それでも俺たち家族」みたいな関係性の絶対さを、誰も彼もが信じきっていました。
今でも「普通そうだろ」と思う人はいるでしょう。
それはそれで構わないので、勝手に自分の「がさつ道」を極めていってほしいものです。
個人個人がばらばらで、そういうのが表面的には尊重されて、少しはましな世の中になったなあと私は感じています。
いま、嫁はだいぶ大人になって、カルカソンヌやチケットトゥライドやローゼンケーニッヒくらいなら、そう嫌がらずに私の相手を務めてくれます。
でも、恐らく彼女は、私以外の人間とは決して遊ぶことはないでしょう。
ゲームは嫁にとってトラウマなのです。
相当に時間が確保できたタイミングに、気分と体調の良さそうな頃合いを見計らって、私は嫁をゲームに誘います。
なるべく楽しんでもらえるよう、まず簡潔で要点を押さえたインストを心がけますが、まだまだ未熟でよく失敗します。
ゲーム中は、熱くならずに、でも真剣に、喜んだり悔しがったりします。
そして。
毎日いろんなサイトを見て回りながら、いつか嫁の方から「これ遊びたい」と言ってくれるゲームに出会えたらな、とか思っていたりします。
それは祈りにも少し似ています。
小さい頃家族とトランプで遊んだ嫁は、遊んだというより人数合わせのためにルールもよく把握しないまま参加させられ、そのうえに下手だと言ってさんざんに罵られたそうです。
挙げ句「お前と遊んでもおもんないねん」と面と向かって言われ、それ以降「一緒に遊んでもおもんない」レッテルを貼られ続けたそうです。
今はどうか知りませんが、昔の家庭はどこもそういうものだったように思います。
親戚の前だろうとなんだろうと、振り当てられたキャラとして口汚く罵られ辱められ、「それでも俺たち家族」みたいな関係性の絶対さを、誰も彼もが信じきっていました。
今でも「普通そうだろ」と思う人はいるでしょう。
それはそれで構わないので、勝手に自分の「がさつ道」を極めていってほしいものです。
個人個人がばらばらで、そういうのが表面的には尊重されて、少しはましな世の中になったなあと私は感じています。
いま、嫁はだいぶ大人になって、カルカソンヌやチケットトゥライドやローゼンケーニッヒくらいなら、そう嫌がらずに私の相手を務めてくれます。
でも、恐らく彼女は、私以外の人間とは決して遊ぶことはないでしょう。
ゲームは嫁にとってトラウマなのです。
相当に時間が確保できたタイミングに、気分と体調の良さそうな頃合いを見計らって、私は嫁をゲームに誘います。
なるべく楽しんでもらえるよう、まず簡潔で要点を押さえたインストを心がけますが、まだまだ未熟でよく失敗します。
ゲーム中は、熱くならずに、でも真剣に、喜んだり悔しがったりします。
そして。
毎日いろんなサイトを見て回りながら、いつか嫁の方から「これ遊びたい」と言ってくれるゲームに出会えたらな、とか思っていたりします。
それは祈りにも少し似ています。
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